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(ゆうと私 前編)
936 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:30:03 ID:eoTp0hKU
(1-1)
私が生まれてから4日目。私はまだ寄生を始めていなかった。それは宿主になる生命体が存在しなかったからではない。
寄生目標生命体はこの星で最大の個体数が生息する「人間」。私はこの星にやってきた最初の寄生体として子供を増やし、最終的に全人類への寄生が私に与えられた使命とされていた。
卵だった私が落ちたここはどうやら小さな島国だったようだが、それでもその人間という生命体はどこを見ても存在していた。
しかし私は「それ」に寄生する気にはなれなかった。なぜなら街という集落を練り歩く彼らの表情はそのほとんどが同じようなものだったから。
どれもつまらなさそうな顔をして、すれ違う多くの仲間達には挨拶もせずに彼らは過ごしている。私自身が生まれたのはこの星だが、
それでも私の種が巡って来た星ではそんなことがまったくなかったというのが記憶として埋め込まれている。
だから私はそれを見て思わず疑ってしまった。本当に「これ」がこの星で一番の知性を持ち、星を埋め尽くさんばかりに生きている生命体なのか、と。
だって、その周りを飛行する生命体や、木にしがみつく小さな生命体のほうが仲間達と充分にコミュニケーションを交わしているではないか。
そのため、私はそんなことも出来ない生命体に寄生など「したくもなかった」。だが、生まれてから寄生せずに生きていられるのは7日間。
既に3日は人間と言う生命体の奇異な生物社会に圧巻されるばかりの毎日を過ごしてしまった。もう私に多くの時間はない。
私は木に作られていた穴から這い出ると、安全のために硬化させていた全身を元の液状に戻した。
そして身体の一部分を隣の木に飛ばし、そのたどり着いた身体の一部に引き寄せられるようにして
隣の木に移動するという方法を使っていつものように宿主探しを始めた。
私はまた街に溢れかえる「あれら」の下らない生活を見るのかと思うと嫌気がさしたが、
ふと視界に入った西から昇って来た力強い太陽に少しだけ私は元気付けられた。
937 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:37:54 ID:eoTp0hKU
(1-2)
「はぁ……やっぱり無理」
私はこの数日である程度覚えてしまったこの国の人間の言葉でそう独り言をこぼして落胆した。もう4日目に昇った日は逆の方角に移動し、沈んでいこうとしている。
とにかく私は人間の中でも私の理想に近い者に寄生をしようと心に決めていた。その理想は自らの仲間である人間としっかりとコミュニケーションを取れている人間にしようという、
当初の私からは大分低い理想を掲げることにしていた。
よさそうな人間は何人かはいた。自らより長く生きている仲間を手助けする若い雄、多くの仲間と共にはしゃぐ若い雌、
白い建物の前で道案内をしている青い衣を纏った雄、住処の近くで似たような体型の雌と大声で笑い合う丸い体型の雌……そうした人間を見つけるたびに
私は「それ」を尾行して本当に宿主に相応しいかを調べた。
結果から言えば、どれも呆れるような人間だったけど。自然に浄化できないようなものを道に捨てたり、先ほど会ったばかりの仲間の悪口を他の仲間と話しているところを見たら、
とてもじゃないが寄生する気にはなれなかった。
木の上から下の風景を覗くと、幼い何人かの人間達が砂で山を忙しそうに作っていた。彼らは仲間にしきりに声を掛け合い、その顔は純粋そうな笑顔で満ち溢れていた。まったく、
歳を取った者より彼らのほうがよっぽどコミュニケーションがとれているではないか。私は思わず呆れてしまった。
しかしながらあんな幼い人間に寄生しても、私がいずれ生むであろう卵の事を考えるとあまり良い宿主とはいえなかった。
暫くその様子を私は見ていたが、彼らは大きな山を作る喜びを分かち合った後、別れの挨拶を交わしておそらく自らの家族の元へと帰っていった。
途端に見るものがなくなり、私は赤く染まる空に視線を動かした。
宿主が見つかっていないのに私がこんなに悠々と過ごしているのは、もし期日が迫るまでに宿主が見つからなくてもそこらへんの人間に寄生をしようと考えているからだ。
そう、私自身も今日の観察で宿主に関して大分割り切れるようになった。
どうせ宿主を見つけても、2週間以内に次の宿主を見つけなければその宿主の身体が拒絶反応を起こして耐え切れなくなり、腐敗し始めて
しまう。つまりどんなにいい宿主を見つけても、その宿主の身体にいられるのは2週間が限界と言うことだ。
それでもすぐに寄生を開始しなかったのは、これが私の初めての寄生でその人間が私の初めての宿主になるからだった。だからせめて最初
だけは理想に近い宿主を見つけたかった。宿主に寄生すると、その次の宿主に私が寄生するまでは元の宿主の意識は昏睡して私の意識しかなくな
るのだが、それでも私にとってはなるべく良い宿主を見つけるということは譲りがたい部分だった。
「あ、ネコ君やっと見つけた!」
そんな時、私が居た公園の外から声が聞こえ、私は暇だったこともあって興味を注がれてその声の主を探し始めた。
938 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:48:27 ID:eoTp0hKU
(1-3)
「ほら、今日はすっごく高い“ネコの、ネコによる、ネコのためのネコ缶”を買ってきちゃったよ~」
私が公園のすぐ近くにある人間の家の屋根にから見えたのは、若い人間の雌が猫という生命体になにやら餌のようなものを与えているという場面だった。
餌の缶を開けている人間のほうはいかにも嬉々としているのだが、一方の猫のほうはといえば馬鹿な「カモ」がまた来た、と鳴き声をあげている。
「あぁ~、またそんな鳴き声と愛くるしい顔で……。待ってね、今開けるから!」
理解できていない人間のほうには、それがまったく伝わっていないようだが。
私は滑稽に思いながらも、興味を引かれたその様子を覗き見していた。
開けた餌を猫の前に置くと、猫は待ってましたばかりに餌にかぶりついた。その様子を満足そうに人間は見ている。
すぐに餌はなくなったようで、猫は餌の入っていた容器から顔を上げると、恩知らずも甚だしく人間に尻尾を向けて歩き始めた。
「ああ! ネコ君待ってよ!」
人間はそれを追いかけようとしたが、猫は素早く家の塀に登ると、その向こう側へと消えていった。
静まり返った道路で人間が一人、空になった容器をじっと見ていた。
しかし、やがてその雌の人間はその場にしゃがみこんで俯いてしまった。その肩がわずかに震えているように見えた。
それが泣いているということは、これまでの経験上すぐに分かったが、その行動は私にとって以外だった。
何故なら私は似たような場面を2日ほど前に見たからだ。そのとき、猫に愛想を尽かれてその場に一人残された人間は
何事もなかったかのようにすぐにその場を歩き去ったのだ。
そうでなくても人間というのはあれだけ人に会いながらも、何も声を掛けていないのだ。
それの方が私はよっぽど悲しい出来事だと思っていた。
しかしこの人間が泣いている理由はおそらく猫に逃げられたから。人間的に言えば他の生物に逃げられただけで、この人間は泣いている。
それが不思議に感じて、私は本当は泣いているわけじゃないのではないかと考え、屋根から身を乗り出した。その人間がもっと見えるように
しかしそれが失敗だった。
身を乗り出しすぎた私の身体は、気付けば全身の半分以上を宙に預けていた。そして重力で私の身体は地面へと引きずられ始めた。
ゆっくりと私の身体は落下し、私が昇っていた家の下に合った塀に見事に直撃。ビチャ、という音と共に私の身体はバラバラに粉砕し、その半分ほどが道路に落下した。
しかし私が何もしなくてもすぐに私の身体は勝手に修復をはじめ、あっという間に元に戻った。
問題は私が塀に直撃をした辺りから、一人の人間にその様子を見られてしまっていたことだ。
それを見ていたのは先ほどまでしゃがみこんでいた雌の人間であった。
939 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:53:59 ID:eoTp0hKU
(1-4)
「それ」は私が分裂し、元に戻る肯定を目を丸くしながら見ていたが、私が元の形に戻るやいなやこちらに駆け寄ってきた。この行動自体不思議だった。
人間と言うのは気味の悪いものを見れば、まず逃げ出す生物だと経験上思っていたからだ。
その私の経験則を裏切って私に駆け寄ってきた人間は、私の元でまたしてもしゃがみこみ一瞬だけ私の様子を見ていたかと思うと、私の身体を指でツンツンと突いてきたのだ。
「わ、わ! プニプニしてる!」
私の身体をさも楽しそうに突きながら人間は笑った。私はむずかゆい感覚を覚えながらも、危機感を感じていた。しかしそう身体が警告を発しながらも私は動けなかった。
何故なら、私が分裂した瞬間、こちらを向いた人間の目にはやはり涙が浮かんでいたからだ。それを見てやはりこの人間はどこか他の人間と違う気がして私は興味を注がれたからだ。
つまり私は、この人間に興味を持ち始めていた。
それはどちらかといえば寄生という目的ではなく、ただ単にこの人間について知りたくなっていた。
「可愛いなぁ、この子。ほれ、ほれ」
そんなことを考えている間にもこの人間は飽きることもなく私の身体を突き続ける。それは先ほどの子供が山を作っているときの無邪気さを感じさせた。
その時、この人間はふと私から視線を外して道の向こうから歩み寄ってくる若い雄の人間を見て、
驚いたような表情を浮かべ、そしてすぐに視線を泳がせた。
その人間の雄は携帯電話機で誰かと話すことに夢中らしく、私にも私を突いていた人間にも気付いている様子はなかった。
「あ、あのごめん!」
突如私の身体から指を引き抜いた雌の人間は、私に向かってそれだけ言うと、何を思ったのか先ほど猫の餌を入れていたビニール製の袋に
私を無理矢理詰め込んでその口を固く縛ってしまったのだ。
私はとっさのことに何一つ文句も言えないまま、大きく揺れ始めた袋の中を右往左往していた。どうやら私を閉じ込めた人間が走り出したらしい。ビニールからぼやけて見える景色がめまぐるしく動いている。
その私にぴたりと当たる温かい感触があった。どうやらそれは形から察するに彼女の胸らしい。その二つの渓谷に私を抱えながら走っているようだ。
そこから伝わる人間の体温と、走っていることから来る振動よりも弱い振動ながらもなぜか力強く感じる「それ」の心臓の鼓動を感じながら、私は拉致されたという不安よりも
これからこの雌の人間について色々と知れるのではないかという期待があったことに気付いた。
941 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:12:03 ID:eoTp0hKU
「やっほ! ごめん、ごめんね!」
それから3分ほどして私はやっと袋から出してもらうことが出来た。呼吸はしない身体でも、外に出してもらって全身に感じた空気はとても気持ちよかった。
私を両手で持ち上げた人間は、ゆっくりと私を木目のテーブルに置いた。部屋の中は猫や犬などの生物を模した置物などが部屋中に置かれていた。
「ねぇねぇ、君ってどこから来たの? 沖縄? 北海道? あ、外国? それともまさか、宇宙?!」
人間はまたしても私を突きながら聞いてきた。私はおそらくこの人間と会話を始めてしまえば、面倒なことになるということを本能的に予感し、押し黙ることを決めた。
「……う~ん、やっぱり言葉は喋れないよね~。でも、君って生きてるんだよね? さっきもあんな風にバラバラになったのに元に戻っちゃったもんね」
人間は私の端と端をつまんで軽く左右に引っ張り、私の身体が伸びる様子を見て楽しそうに笑った。
「あ、でもこのマンションってペット禁止なんだよね……」
人間は勝手に話を進め、そして勝手に悩み始めた。別に無理に一緒に過ごすこともないので、どうせなら出て行きましょうかねぇ? 私はとりあえず
あなたがどうして普通の人間と違う感じに見えたのかが知りたいだけだから。
そんな風にならないかなと思っていると、人間は勝手に何かを思いついたように口を大きく開くとこう言った。
「なら、君は今日から私の“同居人”ってことにしよう! はい、決定! 頭良い、私!」
人間は満足そうに宣言を終えると、飽きることもなくまた私をいじり始めた。
「そう言えば、君って何を食べるのかな? ちっちゃい虫とか小魚? あ、でも口がない。じゃあ水とかジュースとかなら……ってあれも口から入れるものだよね」
そう言って人間は立ち上がると、なにやら白い大きな入れ物の中を物色し始めた。確かあれは食料とかを冷やすための冷蔵庫とかいう物だったかな。
「あ、そうだ! さっき1個持っていかなかったのがあるや」
何を思い出したか、冷蔵庫を勢いよく閉めると、人間はそのまま私の視界から消えたと思ったらすぐに戻ってきた。その片手に見覚えのあるものを携えて。
「はい、これ高いんだよ! その名も“ネコの、ネコによる、ネコのためのネコ缶”!」
……先ほど口がないということにこの人間は気付いたはずであり、そのちょっと前にこれを食していた猫は口からこれを食べていたということ
もあったのに、人間は私の前に既に蓋がないネコの餌を置いた。……言うまでもないと思うけど、私がネコじゃないことには
気付いているんだよ、ね……?
私は頭を悩ませた。一応、溶解さえすれば身体に取り込むことは可能なものであろう。しかしそれで栄養を補給できる身体でない私にとってそれはあま
り意味のない行為といえる。それにこの人間の前で変な行為をすれば、更に面妖なことをやらされかねないような気がしてならない。
そして何より……私にもなぜ備わっているか不明なのに味覚というものが存在している。しかし食欲自体がない上にする必要もないものだから、この星に来てか
らというものそこまで進んで食事を摂ったことはない。それでも興味本位で人間が食べているものをいくつか口にしたが、なるほど中々私の口にも合うものであった。
それなのに私の前にはネコの餌が出されている。これはその名前のとおり、ネコのための餌なのだろうから人間が食べるに適していないものなのだろう。
そうだとすれば、私が食べても決して美味しいものであるとは思えない。
942 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:23:47 ID:eoTp0hKU
(1-6)
だから結論として私は食べたくはない。食べたくはないのだが……私の様子をじっと見ている人間の顔は、期待に満ち溢れていて、目が眩しく輝いていた。
このまま何も反応をしないでじっとしているには、かなりの障害要素だ。
それでも、どう考慮しても私はそれを食べる気にはなれなかったので、わずかに身体を動かしてゆっくりと餌の容器を遠ざけようと押してみた。
しかしわずかに私から容器が離れた出した瞬間、人間が容器を片手で掴み、元の場所まで押し返してきた。
「だめだよ、口もつけずに。ためしに食べてみようよ、ね?」
人間はそう言うと、なんと容器の中身を指で少しすくうと自らの口に運び込んだ。しかしその直後、口の中に入れた指を抜き出すこともせずに動きが硬直する。
その表情も笑顔のまま時が止まったかのように固まっている。
それから10秒ほどして、やっと人間は再び動き出した。一人で納得するように頷き、私にこう言った。
「うん、独特な味だね。さっ、君も食べてみようね?」
嫌です。絶対に嫌です。だってそれはやはり不味いということでしょう? だって確かにこの国は夏という温暖な季節に入っているらしいが、明らかに先ほどまで
はなかった汗があなたの額から発生してるのに……そのような様子を見させておきながら私にまだ食べさせようと試みるのか!?
当然私は餌の容器を私から遠ざけようとした。しかし、先ほどより力強く私が押そうとすると、負けじと人間も強く押し返してきた。
暫く私と人間の無言の鍔迫り合いが続いた。正直に言えば、私の身体を硬化させれば人間にはとても出せないような力で押し返すことができたのだが、何故だかそんなことをしたくはなかった。
それをしてしまえば、なんだか興ざめしてしまうような気がしたからだ。
そう、つまり私はそれを楽しんでいたのだ。その無言のコミュニケーションを。
やがて私は降参して仕方なく押すのをやめた。人間はそれに納得したのか、満足そうな笑みを一層強め、そして餌を指し示した。
私は気を落ち着かせると、ゆっくりと身体の一部をその餌の片隅に載せ、その部分から餌を身体の中に吸い寄せた。ちぎれた餌の破片が私
の身体の中でぷかぷかと浮かんでいる。後は溶解するのみ。
羨望の眼差しを受ける中、私は決心するとその餌を一気に溶解した。……あれ、味がない?
そう思った次の瞬間だった。
「うぁああああ、不味い……」
そんな声を私は聞いた。私の味覚は溶解を始めた当初、何も反応を示さなかった。しかし、やがてじわじわと私の味覚に
面妖な味が広がっていった。これは……ないよ。
ふと、味覚が発し続けていた反応が薄れ始めたとき、私は人間が丸い目で私を見ていることに気付いた。
はて、私は何かしてしまったのだろうか?
ん? してしまったのだろ……。
してしまったの……。
「しゃ、喋ったぁあああああああああ!」
……してしまった。私は思わず自分がしてしまったことを理解した。ああ……恥ずかしい。
私のことを両手で掲げて、満面の笑みを浮かべながら私を覗き込む人間を見て、私はあることを考えていた。この国の人間は確かこんな時
に何というのだっけ、と。
程なくして私はそれを思い出した。そうだ、こう言うのだ。
「穴があったら入りたい」と。
944 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:57:10 ID:eoTp0hKU
(1-7)
さて、それから私は色々なことを人間に聞かれた。どこから何をしに来たのか、どうやって来たのか、何を食べるのか、
身体に触っても怒らないか……などなど。
そのほとんどの問いに私は曖昧な答えを提示をすることにしていた。いや、最初はどうにかだんまりを決め込もうとしていたのだが、
この人間はいやにしつこい部分がある。私がだんまりを始めると人間は私の身体をいじくりまわしながら、「答えてよぉ~」などと駄々をこね始めるのだ。
まったく持って、私を何だと思っているのか。
挙句、黙る私を火で炙ろうとしたり、電子レンジと呼ばれる機械で加熱する、という脅しをしてきたので私はしぶしぶ答えていた。
「でも、嬉しいなぁ。こんな可愛い子を見つけられたなんて」
「あの……私は可愛い、かな?」
私は正直、この人間の「可愛い」という判断基準が分からなかった。だから、それをそのまま聞いてみた。
すると、人間は突然と顔が真剣になり、そしてこう言った。
「可愛いよ!」
有無を言わさぬ口調でたった一声、人間はそう言った。私はその威圧に押されて何も言えなくなってしまった。
と、いうよりこの人間が可愛いというのならそれでいいではないか、と自分に言い聞かせて納得することにしたのだった。
「それに、私は嬉しいなぁ。私って一人ぼっちだからさ」
「あなたには」
「さ・え・き・か・お・る、だってば。ゆう、って呼んでね」
人間は私にそう呼ぶことを強制した。まったくもって面倒な人間である。そして「ゆう」という愛称は一体どこから捻り出された
愛称なのだろうか。
「ゆうには親はいないの?」
「ああ、私も人間、というか生き物だから親はいるよ。ただ、お父さんとお母さんは離婚しちゃって、私はお母さんと暮らしてたんだけど、
私が中学卒業すると同時に別の人と再婚して、その人の子供が出来ちゃってて。だから私は中学卒業すると同時に一人暮らし。
一応仕送りとしてお金は送ってもらってたんだけど、1年ぐらいでそれも止まっちゃってさ。連絡もつかなくなっちゃった」
そう言ってベロンと舌を出して頭を掻いた。うーん、やはり人間の社会と言うのはすごく複雑に感じる。
けど、つまりこの人間は自らの両親に捨てられたということになるのだろうか。私には信じられないな。
私自身、卵の私を産んだ親を見たこともないが、記憶によれば親にとって子は愛しくなって当然というものらしい。
だから私にはその愛しいものを自ら放り出すこと自体が信じられない。
「寂しくなかったの?」
私は思わず聞いてしまった。すると人間は笑ってこう答えた。
「そりゃ、やっぱり寂しかったよ。けど、中学時代の友達が励ましてくれたりして……」
話していた人間から突然、笑いが消え去り今までと同じ人間が発しているとは思えない暗い雰囲気を漂わせた。
私は黙ったまま下を向いてしまった人間に、どう声をかければいいのか分からなかった。
それにそれまでの印象からかけ離れた状態の人間に、そう、少なからずの恐怖を感じていた。
すると先ほどまでの輝きを失った両目で人間は私を見ると、まるで無機物が言葉を発しているかのような口調で話し始めた。
945 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:12:59 ID:eoTp0hKU
(1-8)
「1年後に仕送りが止まった。困ってたらその友達に声掛けられた。仕事くれるって言ってた。私は着いて行った。そしたら……レイプされ
ちゃった。いろんな男の人に。それでお金貰った。1円。友達が「ばーか」だって。私、泣いちゃった。その男の子、好きだったから」
冷たい言葉の連鎖が私を襲った。聞きなれない文の構成のはずなのに、私にはこの人間が何が言いたかったのかが、返ってよく理解できた。
つまりこの人間は、この人間が好んでいた雄の人間に騙され、雄に無理矢理交尾を強制させられたのだろう。そして1円と言うこの国の最低額の金銭を貰い受け、
最後にその好んでいた雄に罵倒された。
「なに、それ? ……なんで? なんでそんなことされるの?」
私には……分からなかった。なんでこの人間はそんな目に会っているのだろうか。一体この人間が……「ゆう」が何をしたというのだろうか?
親に捨てられて、生きていくための金銭も遮られて、挙句の果てに好んだ雄には騙され……なんでその非道な仕打ちを「彼女」が受けなければならないのだろうか?
「おかしいよ。なんで、なんでそれでゆうは笑ってるの? なんで、なんで怒らないの? そんなことされ」
「怒るに決まってるじゃない!」
ゆうが大声で叫んだ。長く垂れた髪のせいで顔は見えないが、その肩はつい数時間前に見たときのように震えていた。
そしてその時、彼女がなぜあの時にも同じように泣いていたのか、分かった気がした。
何故なら私も今、とても……そう、とても悲しい気分になっていたから。
ゆうの顔から一粒の雫が落ちた。それは私にはとても生み出せないほど綺麗で、そしてとても儚げなとても小さな、小さな雫だった。
「ごめん、なさい」
私は思いついたその単語を口にした。何故なら私は彼女自身が痛いほど理解していることを、それこそ馬鹿みたいに改めて聞いてしまったからだ。
「本当にごめんなさい」
私はそれ以上どうすればいいのか、分からなかった。私には彼女とコミュニケーションする言葉しかない。彼女と同じように涙も流せない
ほど、私は無力な存在だから。
すると、ゆうは顔をゆっくりと顔をあげて私を見た。その目は輝きを失ったままだ。彼女は私を許す気はないらしい。当たり前だ。
そう思っていたのに、彼女は私をゆっくりと抱き上げてその胸に私を抱いた。私は驚いたが、そのシャツから伝わる温かいぬくもりを
決して離さないようにしがみついた。
「ありがとう。君も泣いてくれたんだ」
ゆうはそう言って私を一層抱きしめてくれた。顔を見ると、先ほどの眩しいほどの輝きではない、夜空の月のような優しい光が瞳に灯っていた。
946 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:24:51 ID:eoTp0hKU
(1-9)
ゆうは私を胸から離して顔の前まで持ち上げて、久しぶりの笑顔を私に見せてくれた。
心地よいぬくもりが離れてしまって少しだけ寂しかったが、ゆうの笑顔は綺麗で、とても可愛いものだった。
「ねぇ、君って男の子?」
「私に具体的な性別はないよ」
私の種の寄生体には感情があるため、性格の差は少しずつ存在するが、繁殖方法から性別という概念はなかった。
「へぇ……でも君は女の子だよ」
「そうかな?」
私がそう聞くとゆうは自信に満ち溢れた様子で力強く頷いた。
「そうだよ。君が男の子だったらこうして話せない。だって私、男の人が苦手だもん」
「当たり前だよ。あんな事されたら」
「ううん、当たり前じゃないよ。だって男の人は女の人を好きになって、女の人は男の人を好きになるのが人間で一番多いんだよ?
そうじゃなきゃ子供がいなくなっちゃうよ」
「それは大半の人がゆうみたいな辛い目に遭遇してないからだよ」
そう言ってしまって、私はすぐに酷いことをまた言ってしまったと気付いた。
「ご、ごめんなさい!」
「あはは、気にしないでいいよ。君は優しいね。私以上に「ゆう」って名前が似合う子だよ」
「え? どうして?」
私が聞くとゆうは少しだけ恥ずかしそうにして、少しだけ小さな声で言った。
「『優』しいっていう言葉がこの国にはあってね、その一文字目の漢字の別の読み方から取って自分でつけた愛称……ううん、名前なんだ。
優しい人になれますように、ってね。……あはは、恥ずかしいや」
「なんでよ、すごくいいと思うよ。けど、なんで優しい人になりたいの?」
私も優しいというのは良い事だと理解はしているが、それを自らの名前にまでしているのにはそれなりの理由があるのではないかと思ったから
聞いてみた。
「それは、もしかしたら実は私を騙した友達に私は以前に酷いことしちゃって、そのせいで私は騙されたかもしれないと思ったからなんだ」
「でも、そんなことした覚えがあるの?」
「私自身は正直した覚えはないんだ。けど、テレビとかでそういうドラマを見てたら、実は自分もそういうちゃんとした理由で騙されたんじ
ゃないかな、って思ったから。知らないところで人を傷つけたりとか、私に悪い部分があって、それで騙されたのなら少しだけ割り切れるよ
うな気がしたから」
「悪くない」
私は堪らずゆうの言葉を遮ってそう言った。ゆうは途端に目を丸くした。
「ゆうは絶対に悪くない。絶対に、悪くない」
私は自分に言い聞かすように言葉を発した。でも、ゆう自身も私の思いを分かってくれたようで私に優しい笑顔を向けてくれた。
947 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:41:41 ID:eoTp0hKU
(1-10)
「ありがとう。君は本当に優しい子だね」
そう言って私をまた私をぬくもりが詰まった胸に抱いてくれた。
「けどそう割り切っても、やっぱり男の人は好きになれないんだ。ううん、違う。はっきり言って嫌い。だいっきらい」
「私も嫌い。だいっきらい」
私もゆうに負けじと言うと、ゆうはまた目を丸くして、それから段々と湧き上がるように笑い出した。
「あははははっ! 本当に君は、優しい子だよ」
そう言って抱いたまま私を優しく突いてきた。先ほどまではうるさく感じていたそれも、今となってはとても気持ちがいい。
「ねぇ、そう言えば君の名前は?」
「名前なんて持ってないよ」
「ありゃりゃ、そりゃ可哀そうに。……あ」
ゆうが何かを思いついたように少し不敵に笑い、そしてこう言った。
「じゃあ、私の名前あげるよ。今ならもれなく苗字つきで。あ、『ゆう』って名前じゃないよ?」
「え、それはだめだよ。そういう名前って親から貰ったものなんでしょ? 大事にしないと」
私がそう言ってやめさせようとしても、ゆうはこう言い切ってしまった。
「いいのいいの。私には『ゆう』って名前があるから。……って言っても名義とかには使えないと思うから、そう、共有ってことにしよう。はい、決定!」
またしても強制的に話は進められてしまい、ゆうは一人で拍手をした。その様子を見て、私も反論するのに気が引けてしまいやめることにした。
「じゃあ、よろしくね。かおる」
首を傾けて改めてゆうは私に挨拶をしてきた。
「こちらこそ、ゆう」
こうして私は彼女の名前に寄生する事になった。
949 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 19:50:59 ID:eoTp0hKU
(1-11)
「ふう、ただいまぁ~」
私がこの星に生まれてから5日目の夕方。茶色い鉄のドアを開けて、両手に袋を持ったゆうが家に帰ってきた。私は茶の間から玄関の靴箱まで、素早く移動して彼女を出迎えた。
「おかえり~。お仕事、お疲れ様です」
「ただいま、かおる。どう? 探してる人は見つかった?」
袋の中のものを冷蔵庫に入れながら、ゆうは私に聞いてきた。
「ううん、やっぱり見つからなかった」
「ありゃりゃ。うーん、やっぱり私も一緒に探すよ」
「いやいやいやいや、大丈夫だから、ね? ご安心を」
私は必死にゆうの心優しい提案を却下させてもらった。
結局、私はこの星に来た理由を「人探し」ということでゆうに伝えた。ある人物に私の種の更なる進化の可能性の道しるべとなる情報を聞き出す、というのが彼女に話した私の嘘の使命だ。
何故私が彼女自身に寄生をしないか。その理由はあまりに単純だ。
私が彼女を好きだからである。
私の宿主の理想など軽く越えてしまっている、そう愛すべき人物であり、逆にその理想を越えすぎてしまっているがゆえに寄生したくなかった。
では私はどうしようと考えているか。それは私の本当の使命を果たしながら、ゆうとの関係も持続できるような方法を必死に考えた末に出した策だった。
それは、ゆうが好きな人間の女の子として彼女の前に現れ、彼女と同じ人間の友達になることだった。
私に与えられた能力である宿主に寄生する能力と、寄生した宿主の身体をある方法で得た別の人間の情報を元に書き換える能力、つまり擬態能力。
この二つを利用して私が考えた策はこうだ。
まず、ゆうが好きそうな人物を見つけてその人物を見つける。そして見つかり次第、ゆうに別れを告げて私はこの家を去り、ゆうが好きな人物を「食べる」。
これがその人物に擬態するための情報を得る手段だ。そして後は、どんどんと宿主を乗り換えていきながら、ゆうに会うときだけ「食べた」人物に擬態して彼女と会う。
我ながら完璧な作戦だと思った。そう、私が今探している人物とは宿主の対象ではなく、ゆうが好きそうな人物なのだ。
しかしこれを闇雲に探しても中々見つからない。私はやはり、ゆうのような優しい人物を探したのだがどうしても彼女ほどに優しい人物は見つからない。
そこで私が目をつけたのは彼女が働く仕事場の雇い主だ。
950 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 19:56:13 ID:eoTp0hKU
(1-12)
ゆうはあの酷い事件の後、なんとか男性と接しないで済む仕事場を頑張って探したらしい。そしてやっとたどり着いたのが、キャバクラという店の清掃係と言う仕事だった。どうやらそこのオーナーが理解が事情を知って、理解を示してくれたらしい。
そのオーナーも当然女性であり、それもお店で人気NO.1とのことだ。
キャバクラという店は夜中に男を来店者として迎えるお店だが、昼間ならそうした客に会わずに済むのではないかというオーナーのはからいだったようだ。
そう、何とも素晴らしい人物ではないか。つい昨日、私もこっそりとその仕事場を覗きに行ってその人物を観察した。ゆうに見つからないようにする観察は思った以上に大変だったが、
そのオーナー自身も昼間だというのにパーソナルコンピューターや携帯電話機で店の仕事をどうやらこなしているほどの忙しい人物であるようだった。
その仕事ぶりのせいか、オーナーという人間社会では上流に位置する階級なのに歳も若く、やはり美人でナイスバディである。……私はゆうだって充分ナイスバディだと思うのだが、
彼女曰く「私が東京タワーなら、オーナーはエッフェル塔」という私には分かりづらい例えを言っていた。
まぁ、つまりゆうもオーナーという人物を敬愛し、私にも中々素晴らしい人物だと思っている。そのオーナー様には申し訳ないが私に「食べられてもらう」つもりだ。予定としてはこの身体で私が過ごす最後の日となる7日目、つまりは明後日に。
すぐに食べないのは、私もできるだけこの身体でゆうともう少しだけ一緒に過ごしたかったからである。私の身体は一度宿主に寄生してしまえば、この身体で活動できるのは宿主から宿主に移動するときに存在するごくごくわずかな時間のみだ。
その状態でゆうに会うのはかなり限界があると思った。
擬態してからもゆうに正体を明かすつもりもない。それは私自身がゆうと一人の人間として向き合いたいからである。
だから私はこの身体で彼女と会える残された時間で今しか作れない大切な思い出を作っておきたいと思った。もし、いずれ私が擬態してからその正体を明かしたいと思っても、もう彼女とこの身体で向き合うことは出来ないからだ。
「さて、と。一緒にテレビでも見よっか? 今ならドラマの再放送をやってるでしょ」
そう言って私をその胸に抱え込むと茶の間に移動してテレビのチャンネルを変えた。ちなみに私が先ほどまで見ていたのは人間がルールに従って競い合う、陸上という競技の大会だった。
なるほど、自分の身体をあのように使って様々なものに挑戦するのは中々面白い映像だった。
それから私とゆうは一緒にドラマを見た。それも中々面白い内容だったのだが、それよりも面白かったのはゆうがドラマで起こる一つ一つの出来事に喜怒哀楽をそれぞれ精一杯表していたからだ。
場面によってめまぐるしく変わるゆうの表情は見ててとても滑稽で、そして素直だと思った。
「ああ、面白かった。ね?」
「うん、とっても」
私がゆうの言葉に同意すると彼女も嬉しそうに笑ってくれた。
「本当にオーナーには感謝しないと。昼間に掃除しかできないのに、お給料は充分すぎるほどくれるし。そのお陰でかおるとこうして過ごせるんだもんね」
ゆうはそう言って窓の外を見た。今は力強く赤い空だが、数時間もすれば妖しい暗闇を孕んだ夜に変貌していく。これからがオーナーにとって本当に忙しい時間なのだろう。
そう言えば明後日から私がそれを引き継ぐことになるのだろうか? 正直私も男をお客とするそんな商売は絶対にしたくはないのだが、ゆうの仕事場がなくなるのは困ることだ。
まぁ、どこかの上流階級の人間に寄生したときにでもその金銭を流用してお店を切り盛りすれば大丈夫かな。
「さってと、じゃあよるごはんの用意をしようかな。今日は牛のお肉を買ってきたんだけど、君は食べられるかな?」
「うん。全然おっけーだよ」
毎回、食事を作る前に私がそれを食べられるかどうかをゆうは忘れずに聞いてくれた。でも、あれから何回かゆうの手作りお料理を食べさせてもらったが、やはり一人暮らしの経験が多いせいなのか、どれも美味しいものばかりだった。
(1-1)
私が生まれてから4日目。私はまだ寄生を始めていなかった。それは宿主になる生命体が存在しなかったからではない。
寄生目標生命体はこの星で最大の個体数が生息する「人間」。私はこの星にやってきた最初の寄生体として子供を増やし、最終的に全人類への寄生が私に与えられた使命とされていた。
卵だった私が落ちたここはどうやら小さな島国だったようだが、それでもその人間という生命体はどこを見ても存在していた。
しかし私は「それ」に寄生する気にはなれなかった。なぜなら街という集落を練り歩く彼らの表情はそのほとんどが同じようなものだったから。
どれもつまらなさそうな顔をして、すれ違う多くの仲間達には挨拶もせずに彼らは過ごしている。私自身が生まれたのはこの星だが、
それでも私の種が巡って来た星ではそんなことがまったくなかったというのが記憶として埋め込まれている。
だから私はそれを見て思わず疑ってしまった。本当に「これ」がこの星で一番の知性を持ち、星を埋め尽くさんばかりに生きている生命体なのか、と。
だって、その周りを飛行する生命体や、木にしがみつく小さな生命体のほうが仲間達と充分にコミュニケーションを交わしているではないか。
そのため、私はそんなことも出来ない生命体に寄生など「したくもなかった」。だが、生まれてから寄生せずに生きていられるのは7日間。
既に3日は人間と言う生命体の奇異な生物社会に圧巻されるばかりの毎日を過ごしてしまった。もう私に多くの時間はない。
私は木に作られていた穴から這い出ると、安全のために硬化させていた全身を元の液状に戻した。
そして身体の一部分を隣の木に飛ばし、そのたどり着いた身体の一部に引き寄せられるようにして
隣の木に移動するという方法を使っていつものように宿主探しを始めた。
私はまた街に溢れかえる「あれら」の下らない生活を見るのかと思うと嫌気がさしたが、
ふと視界に入った西から昇って来た力強い太陽に少しだけ私は元気付けられた。
937 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:37:54 ID:eoTp0hKU
(1-2)
「はぁ……やっぱり無理」
私はこの数日である程度覚えてしまったこの国の人間の言葉でそう独り言をこぼして落胆した。もう4日目に昇った日は逆の方角に移動し、沈んでいこうとしている。
とにかく私は人間の中でも私の理想に近い者に寄生をしようと心に決めていた。その理想は自らの仲間である人間としっかりとコミュニケーションを取れている人間にしようという、
当初の私からは大分低い理想を掲げることにしていた。
よさそうな人間は何人かはいた。自らより長く生きている仲間を手助けする若い雄、多くの仲間と共にはしゃぐ若い雌、
白い建物の前で道案内をしている青い衣を纏った雄、住処の近くで似たような体型の雌と大声で笑い合う丸い体型の雌……そうした人間を見つけるたびに
私は「それ」を尾行して本当に宿主に相応しいかを調べた。
結果から言えば、どれも呆れるような人間だったけど。自然に浄化できないようなものを道に捨てたり、先ほど会ったばかりの仲間の悪口を他の仲間と話しているところを見たら、
とてもじゃないが寄生する気にはなれなかった。
木の上から下の風景を覗くと、幼い何人かの人間達が砂で山を忙しそうに作っていた。彼らは仲間にしきりに声を掛け合い、その顔は純粋そうな笑顔で満ち溢れていた。まったく、
歳を取った者より彼らのほうがよっぽどコミュニケーションがとれているではないか。私は思わず呆れてしまった。
しかしながらあんな幼い人間に寄生しても、私がいずれ生むであろう卵の事を考えるとあまり良い宿主とはいえなかった。
暫くその様子を私は見ていたが、彼らは大きな山を作る喜びを分かち合った後、別れの挨拶を交わしておそらく自らの家族の元へと帰っていった。
途端に見るものがなくなり、私は赤く染まる空に視線を動かした。
宿主が見つかっていないのに私がこんなに悠々と過ごしているのは、もし期日が迫るまでに宿主が見つからなくてもそこらへんの人間に寄生をしようと考えているからだ。
そう、私自身も今日の観察で宿主に関して大分割り切れるようになった。
どうせ宿主を見つけても、2週間以内に次の宿主を見つけなければその宿主の身体が拒絶反応を起こして耐え切れなくなり、腐敗し始めて
しまう。つまりどんなにいい宿主を見つけても、その宿主の身体にいられるのは2週間が限界と言うことだ。
それでもすぐに寄生を開始しなかったのは、これが私の初めての寄生でその人間が私の初めての宿主になるからだった。だからせめて最初
だけは理想に近い宿主を見つけたかった。宿主に寄生すると、その次の宿主に私が寄生するまでは元の宿主の意識は昏睡して私の意識しかなくな
るのだが、それでも私にとってはなるべく良い宿主を見つけるということは譲りがたい部分だった。
「あ、ネコ君やっと見つけた!」
そんな時、私が居た公園の外から声が聞こえ、私は暇だったこともあって興味を注がれてその声の主を探し始めた。
938 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:48:27 ID:eoTp0hKU
(1-3)
「ほら、今日はすっごく高い“ネコの、ネコによる、ネコのためのネコ缶”を買ってきちゃったよ~」
私が公園のすぐ近くにある人間の家の屋根にから見えたのは、若い人間の雌が猫という生命体になにやら餌のようなものを与えているという場面だった。
餌の缶を開けている人間のほうはいかにも嬉々としているのだが、一方の猫のほうはといえば馬鹿な「カモ」がまた来た、と鳴き声をあげている。
「あぁ~、またそんな鳴き声と愛くるしい顔で……。待ってね、今開けるから!」
理解できていない人間のほうには、それがまったく伝わっていないようだが。
私は滑稽に思いながらも、興味を引かれたその様子を覗き見していた。
開けた餌を猫の前に置くと、猫は待ってましたばかりに餌にかぶりついた。その様子を満足そうに人間は見ている。
すぐに餌はなくなったようで、猫は餌の入っていた容器から顔を上げると、恩知らずも甚だしく人間に尻尾を向けて歩き始めた。
「ああ! ネコ君待ってよ!」
人間はそれを追いかけようとしたが、猫は素早く家の塀に登ると、その向こう側へと消えていった。
静まり返った道路で人間が一人、空になった容器をじっと見ていた。
しかし、やがてその雌の人間はその場にしゃがみこんで俯いてしまった。その肩がわずかに震えているように見えた。
それが泣いているということは、これまでの経験上すぐに分かったが、その行動は私にとって以外だった。
何故なら私は似たような場面を2日ほど前に見たからだ。そのとき、猫に愛想を尽かれてその場に一人残された人間は
何事もなかったかのようにすぐにその場を歩き去ったのだ。
そうでなくても人間というのはあれだけ人に会いながらも、何も声を掛けていないのだ。
それの方が私はよっぽど悲しい出来事だと思っていた。
しかしこの人間が泣いている理由はおそらく猫に逃げられたから。人間的に言えば他の生物に逃げられただけで、この人間は泣いている。
それが不思議に感じて、私は本当は泣いているわけじゃないのではないかと考え、屋根から身を乗り出した。その人間がもっと見えるように
しかしそれが失敗だった。
身を乗り出しすぎた私の身体は、気付けば全身の半分以上を宙に預けていた。そして重力で私の身体は地面へと引きずられ始めた。
ゆっくりと私の身体は落下し、私が昇っていた家の下に合った塀に見事に直撃。ビチャ、という音と共に私の身体はバラバラに粉砕し、その半分ほどが道路に落下した。
しかし私が何もしなくてもすぐに私の身体は勝手に修復をはじめ、あっという間に元に戻った。
問題は私が塀に直撃をした辺りから、一人の人間にその様子を見られてしまっていたことだ。
それを見ていたのは先ほどまでしゃがみこんでいた雌の人間であった。
939 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 11:53:59 ID:eoTp0hKU
(1-4)
「それ」は私が分裂し、元に戻る肯定を目を丸くしながら見ていたが、私が元の形に戻るやいなやこちらに駆け寄ってきた。この行動自体不思議だった。
人間と言うのは気味の悪いものを見れば、まず逃げ出す生物だと経験上思っていたからだ。
その私の経験則を裏切って私に駆け寄ってきた人間は、私の元でまたしてもしゃがみこみ一瞬だけ私の様子を見ていたかと思うと、私の身体を指でツンツンと突いてきたのだ。
「わ、わ! プニプニしてる!」
私の身体をさも楽しそうに突きながら人間は笑った。私はむずかゆい感覚を覚えながらも、危機感を感じていた。しかしそう身体が警告を発しながらも私は動けなかった。
何故なら、私が分裂した瞬間、こちらを向いた人間の目にはやはり涙が浮かんでいたからだ。それを見てやはりこの人間はどこか他の人間と違う気がして私は興味を注がれたからだ。
つまり私は、この人間に興味を持ち始めていた。
それはどちらかといえば寄生という目的ではなく、ただ単にこの人間について知りたくなっていた。
「可愛いなぁ、この子。ほれ、ほれ」
そんなことを考えている間にもこの人間は飽きることもなく私の身体を突き続ける。それは先ほどの子供が山を作っているときの無邪気さを感じさせた。
その時、この人間はふと私から視線を外して道の向こうから歩み寄ってくる若い雄の人間を見て、
驚いたような表情を浮かべ、そしてすぐに視線を泳がせた。
その人間の雄は携帯電話機で誰かと話すことに夢中らしく、私にも私を突いていた人間にも気付いている様子はなかった。
「あ、あのごめん!」
突如私の身体から指を引き抜いた雌の人間は、私に向かってそれだけ言うと、何を思ったのか先ほど猫の餌を入れていたビニール製の袋に
私を無理矢理詰め込んでその口を固く縛ってしまったのだ。
私はとっさのことに何一つ文句も言えないまま、大きく揺れ始めた袋の中を右往左往していた。どうやら私を閉じ込めた人間が走り出したらしい。ビニールからぼやけて見える景色がめまぐるしく動いている。
その私にぴたりと当たる温かい感触があった。どうやらそれは形から察するに彼女の胸らしい。その二つの渓谷に私を抱えながら走っているようだ。
そこから伝わる人間の体温と、走っていることから来る振動よりも弱い振動ながらもなぜか力強く感じる「それ」の心臓の鼓動を感じながら、私は拉致されたという不安よりも
これからこの雌の人間について色々と知れるのではないかという期待があったことに気付いた。
941 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:12:03 ID:eoTp0hKU
「やっほ! ごめん、ごめんね!」
それから3分ほどして私はやっと袋から出してもらうことが出来た。呼吸はしない身体でも、外に出してもらって全身に感じた空気はとても気持ちよかった。
私を両手で持ち上げた人間は、ゆっくりと私を木目のテーブルに置いた。部屋の中は猫や犬などの生物を模した置物などが部屋中に置かれていた。
「ねぇねぇ、君ってどこから来たの? 沖縄? 北海道? あ、外国? それともまさか、宇宙?!」
人間はまたしても私を突きながら聞いてきた。私はおそらくこの人間と会話を始めてしまえば、面倒なことになるということを本能的に予感し、押し黙ることを決めた。
「……う~ん、やっぱり言葉は喋れないよね~。でも、君って生きてるんだよね? さっきもあんな風にバラバラになったのに元に戻っちゃったもんね」
人間は私の端と端をつまんで軽く左右に引っ張り、私の身体が伸びる様子を見て楽しそうに笑った。
「あ、でもこのマンションってペット禁止なんだよね……」
人間は勝手に話を進め、そして勝手に悩み始めた。別に無理に一緒に過ごすこともないので、どうせなら出て行きましょうかねぇ? 私はとりあえず
あなたがどうして普通の人間と違う感じに見えたのかが知りたいだけだから。
そんな風にならないかなと思っていると、人間は勝手に何かを思いついたように口を大きく開くとこう言った。
「なら、君は今日から私の“同居人”ってことにしよう! はい、決定! 頭良い、私!」
人間は満足そうに宣言を終えると、飽きることもなくまた私をいじり始めた。
「そう言えば、君って何を食べるのかな? ちっちゃい虫とか小魚? あ、でも口がない。じゃあ水とかジュースとかなら……ってあれも口から入れるものだよね」
そう言って人間は立ち上がると、なにやら白い大きな入れ物の中を物色し始めた。確かあれは食料とかを冷やすための冷蔵庫とかいう物だったかな。
「あ、そうだ! さっき1個持っていかなかったのがあるや」
何を思い出したか、冷蔵庫を勢いよく閉めると、人間はそのまま私の視界から消えたと思ったらすぐに戻ってきた。その片手に見覚えのあるものを携えて。
「はい、これ高いんだよ! その名も“ネコの、ネコによる、ネコのためのネコ缶”!」
……先ほど口がないということにこの人間は気付いたはずであり、そのちょっと前にこれを食していた猫は口からこれを食べていたということ
もあったのに、人間は私の前に既に蓋がないネコの餌を置いた。……言うまでもないと思うけど、私がネコじゃないことには
気付いているんだよ、ね……?
私は頭を悩ませた。一応、溶解さえすれば身体に取り込むことは可能なものであろう。しかしそれで栄養を補給できる身体でない私にとってそれはあま
り意味のない行為といえる。それにこの人間の前で変な行為をすれば、更に面妖なことをやらされかねないような気がしてならない。
そして何より……私にもなぜ備わっているか不明なのに味覚というものが存在している。しかし食欲自体がない上にする必要もないものだから、この星に来てか
らというものそこまで進んで食事を摂ったことはない。それでも興味本位で人間が食べているものをいくつか口にしたが、なるほど中々私の口にも合うものであった。
それなのに私の前にはネコの餌が出されている。これはその名前のとおり、ネコのための餌なのだろうから人間が食べるに適していないものなのだろう。
そうだとすれば、私が食べても決して美味しいものであるとは思えない。
942 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:23:47 ID:eoTp0hKU
(1-6)
だから結論として私は食べたくはない。食べたくはないのだが……私の様子をじっと見ている人間の顔は、期待に満ち溢れていて、目が眩しく輝いていた。
このまま何も反応をしないでじっとしているには、かなりの障害要素だ。
それでも、どう考慮しても私はそれを食べる気にはなれなかったので、わずかに身体を動かしてゆっくりと餌の容器を遠ざけようと押してみた。
しかしわずかに私から容器が離れた出した瞬間、人間が容器を片手で掴み、元の場所まで押し返してきた。
「だめだよ、口もつけずに。ためしに食べてみようよ、ね?」
人間はそう言うと、なんと容器の中身を指で少しすくうと自らの口に運び込んだ。しかしその直後、口の中に入れた指を抜き出すこともせずに動きが硬直する。
その表情も笑顔のまま時が止まったかのように固まっている。
それから10秒ほどして、やっと人間は再び動き出した。一人で納得するように頷き、私にこう言った。
「うん、独特な味だね。さっ、君も食べてみようね?」
嫌です。絶対に嫌です。だってそれはやはり不味いということでしょう? だって確かにこの国は夏という温暖な季節に入っているらしいが、明らかに先ほどまで
はなかった汗があなたの額から発生してるのに……そのような様子を見させておきながら私にまだ食べさせようと試みるのか!?
当然私は餌の容器を私から遠ざけようとした。しかし、先ほどより力強く私が押そうとすると、負けじと人間も強く押し返してきた。
暫く私と人間の無言の鍔迫り合いが続いた。正直に言えば、私の身体を硬化させれば人間にはとても出せないような力で押し返すことができたのだが、何故だかそんなことをしたくはなかった。
それをしてしまえば、なんだか興ざめしてしまうような気がしたからだ。
そう、つまり私はそれを楽しんでいたのだ。その無言のコミュニケーションを。
やがて私は降参して仕方なく押すのをやめた。人間はそれに納得したのか、満足そうな笑みを一層強め、そして餌を指し示した。
私は気を落ち着かせると、ゆっくりと身体の一部をその餌の片隅に載せ、その部分から餌を身体の中に吸い寄せた。ちぎれた餌の破片が私
の身体の中でぷかぷかと浮かんでいる。後は溶解するのみ。
羨望の眼差しを受ける中、私は決心するとその餌を一気に溶解した。……あれ、味がない?
そう思った次の瞬間だった。
「うぁああああ、不味い……」
そんな声を私は聞いた。私の味覚は溶解を始めた当初、何も反応を示さなかった。しかし、やがてじわじわと私の味覚に
面妖な味が広がっていった。これは……ないよ。
ふと、味覚が発し続けていた反応が薄れ始めたとき、私は人間が丸い目で私を見ていることに気付いた。
はて、私は何かしてしまったのだろうか?
ん? してしまったのだろ……。
してしまったの……。
「しゃ、喋ったぁあああああああああ!」
……してしまった。私は思わず自分がしてしまったことを理解した。ああ……恥ずかしい。
私のことを両手で掲げて、満面の笑みを浮かべながら私を覗き込む人間を見て、私はあることを考えていた。この国の人間は確かこんな時
に何というのだっけ、と。
程なくして私はそれを思い出した。そうだ、こう言うのだ。
「穴があったら入りたい」と。
944 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 13:57:10 ID:eoTp0hKU
(1-7)
さて、それから私は色々なことを人間に聞かれた。どこから何をしに来たのか、どうやって来たのか、何を食べるのか、
身体に触っても怒らないか……などなど。
そのほとんどの問いに私は曖昧な答えを提示をすることにしていた。いや、最初はどうにかだんまりを決め込もうとしていたのだが、
この人間はいやにしつこい部分がある。私がだんまりを始めると人間は私の身体をいじくりまわしながら、「答えてよぉ~」などと駄々をこね始めるのだ。
まったく持って、私を何だと思っているのか。
挙句、黙る私を火で炙ろうとしたり、電子レンジと呼ばれる機械で加熱する、という脅しをしてきたので私はしぶしぶ答えていた。
「でも、嬉しいなぁ。こんな可愛い子を見つけられたなんて」
「あの……私は可愛い、かな?」
私は正直、この人間の「可愛い」という判断基準が分からなかった。だから、それをそのまま聞いてみた。
すると、人間は突然と顔が真剣になり、そしてこう言った。
「可愛いよ!」
有無を言わさぬ口調でたった一声、人間はそう言った。私はその威圧に押されて何も言えなくなってしまった。
と、いうよりこの人間が可愛いというのならそれでいいではないか、と自分に言い聞かせて納得することにしたのだった。
「それに、私は嬉しいなぁ。私って一人ぼっちだからさ」
「あなたには」
「さ・え・き・か・お・る、だってば。ゆう、って呼んでね」
人間は私にそう呼ぶことを強制した。まったくもって面倒な人間である。そして「ゆう」という愛称は一体どこから捻り出された
愛称なのだろうか。
「ゆうには親はいないの?」
「ああ、私も人間、というか生き物だから親はいるよ。ただ、お父さんとお母さんは離婚しちゃって、私はお母さんと暮らしてたんだけど、
私が中学卒業すると同時に別の人と再婚して、その人の子供が出来ちゃってて。だから私は中学卒業すると同時に一人暮らし。
一応仕送りとしてお金は送ってもらってたんだけど、1年ぐらいでそれも止まっちゃってさ。連絡もつかなくなっちゃった」
そう言ってベロンと舌を出して頭を掻いた。うーん、やはり人間の社会と言うのはすごく複雑に感じる。
けど、つまりこの人間は自らの両親に捨てられたということになるのだろうか。私には信じられないな。
私自身、卵の私を産んだ親を見たこともないが、記憶によれば親にとって子は愛しくなって当然というものらしい。
だから私にはその愛しいものを自ら放り出すこと自体が信じられない。
「寂しくなかったの?」
私は思わず聞いてしまった。すると人間は笑ってこう答えた。
「そりゃ、やっぱり寂しかったよ。けど、中学時代の友達が励ましてくれたりして……」
話していた人間から突然、笑いが消え去り今までと同じ人間が発しているとは思えない暗い雰囲気を漂わせた。
私は黙ったまま下を向いてしまった人間に、どう声をかければいいのか分からなかった。
それにそれまでの印象からかけ離れた状態の人間に、そう、少なからずの恐怖を感じていた。
すると先ほどまでの輝きを失った両目で人間は私を見ると、まるで無機物が言葉を発しているかのような口調で話し始めた。
945 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:12:59 ID:eoTp0hKU
(1-8)
「1年後に仕送りが止まった。困ってたらその友達に声掛けられた。仕事くれるって言ってた。私は着いて行った。そしたら……レイプされ
ちゃった。いろんな男の人に。それでお金貰った。1円。友達が「ばーか」だって。私、泣いちゃった。その男の子、好きだったから」
冷たい言葉の連鎖が私を襲った。聞きなれない文の構成のはずなのに、私にはこの人間が何が言いたかったのかが、返ってよく理解できた。
つまりこの人間は、この人間が好んでいた雄の人間に騙され、雄に無理矢理交尾を強制させられたのだろう。そして1円と言うこの国の最低額の金銭を貰い受け、
最後にその好んでいた雄に罵倒された。
「なに、それ? ……なんで? なんでそんなことされるの?」
私には……分からなかった。なんでこの人間はそんな目に会っているのだろうか。一体この人間が……「ゆう」が何をしたというのだろうか?
親に捨てられて、生きていくための金銭も遮られて、挙句の果てに好んだ雄には騙され……なんでその非道な仕打ちを「彼女」が受けなければならないのだろうか?
「おかしいよ。なんで、なんでそれでゆうは笑ってるの? なんで、なんで怒らないの? そんなことされ」
「怒るに決まってるじゃない!」
ゆうが大声で叫んだ。長く垂れた髪のせいで顔は見えないが、その肩はつい数時間前に見たときのように震えていた。
そしてその時、彼女がなぜあの時にも同じように泣いていたのか、分かった気がした。
何故なら私も今、とても……そう、とても悲しい気分になっていたから。
ゆうの顔から一粒の雫が落ちた。それは私にはとても生み出せないほど綺麗で、そしてとても儚げなとても小さな、小さな雫だった。
「ごめん、なさい」
私は思いついたその単語を口にした。何故なら私は彼女自身が痛いほど理解していることを、それこそ馬鹿みたいに改めて聞いてしまったからだ。
「本当にごめんなさい」
私はそれ以上どうすればいいのか、分からなかった。私には彼女とコミュニケーションする言葉しかない。彼女と同じように涙も流せない
ほど、私は無力な存在だから。
すると、ゆうは顔をゆっくりと顔をあげて私を見た。その目は輝きを失ったままだ。彼女は私を許す気はないらしい。当たり前だ。
そう思っていたのに、彼女は私をゆっくりと抱き上げてその胸に私を抱いた。私は驚いたが、そのシャツから伝わる温かいぬくもりを
決して離さないようにしがみついた。
「ありがとう。君も泣いてくれたんだ」
ゆうはそう言って私を一層抱きしめてくれた。顔を見ると、先ほどの眩しいほどの輝きではない、夜空の月のような優しい光が瞳に灯っていた。
946 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:24:51 ID:eoTp0hKU
(1-9)
ゆうは私を胸から離して顔の前まで持ち上げて、久しぶりの笑顔を私に見せてくれた。
心地よいぬくもりが離れてしまって少しだけ寂しかったが、ゆうの笑顔は綺麗で、とても可愛いものだった。
「ねぇ、君って男の子?」
「私に具体的な性別はないよ」
私の種の寄生体には感情があるため、性格の差は少しずつ存在するが、繁殖方法から性別という概念はなかった。
「へぇ……でも君は女の子だよ」
「そうかな?」
私がそう聞くとゆうは自信に満ち溢れた様子で力強く頷いた。
「そうだよ。君が男の子だったらこうして話せない。だって私、男の人が苦手だもん」
「当たり前だよ。あんな事されたら」
「ううん、当たり前じゃないよ。だって男の人は女の人を好きになって、女の人は男の人を好きになるのが人間で一番多いんだよ?
そうじゃなきゃ子供がいなくなっちゃうよ」
「それは大半の人がゆうみたいな辛い目に遭遇してないからだよ」
そう言ってしまって、私はすぐに酷いことをまた言ってしまったと気付いた。
「ご、ごめんなさい!」
「あはは、気にしないでいいよ。君は優しいね。私以上に「ゆう」って名前が似合う子だよ」
「え? どうして?」
私が聞くとゆうは少しだけ恥ずかしそうにして、少しだけ小さな声で言った。
「『優』しいっていう言葉がこの国にはあってね、その一文字目の漢字の別の読み方から取って自分でつけた愛称……ううん、名前なんだ。
優しい人になれますように、ってね。……あはは、恥ずかしいや」
「なんでよ、すごくいいと思うよ。けど、なんで優しい人になりたいの?」
私も優しいというのは良い事だと理解はしているが、それを自らの名前にまでしているのにはそれなりの理由があるのではないかと思ったから
聞いてみた。
「それは、もしかしたら実は私を騙した友達に私は以前に酷いことしちゃって、そのせいで私は騙されたかもしれないと思ったからなんだ」
「でも、そんなことした覚えがあるの?」
「私自身は正直した覚えはないんだ。けど、テレビとかでそういうドラマを見てたら、実は自分もそういうちゃんとした理由で騙されたんじ
ゃないかな、って思ったから。知らないところで人を傷つけたりとか、私に悪い部分があって、それで騙されたのなら少しだけ割り切れるよ
うな気がしたから」
「悪くない」
私は堪らずゆうの言葉を遮ってそう言った。ゆうは途端に目を丸くした。
「ゆうは絶対に悪くない。絶対に、悪くない」
私は自分に言い聞かすように言葉を発した。でも、ゆう自身も私の思いを分かってくれたようで私に優しい笑顔を向けてくれた。
947 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 14:41:41 ID:eoTp0hKU
(1-10)
「ありがとう。君は本当に優しい子だね」
そう言って私をまた私をぬくもりが詰まった胸に抱いてくれた。
「けどそう割り切っても、やっぱり男の人は好きになれないんだ。ううん、違う。はっきり言って嫌い。だいっきらい」
「私も嫌い。だいっきらい」
私もゆうに負けじと言うと、ゆうはまた目を丸くして、それから段々と湧き上がるように笑い出した。
「あははははっ! 本当に君は、優しい子だよ」
そう言って抱いたまま私を優しく突いてきた。先ほどまではうるさく感じていたそれも、今となってはとても気持ちがいい。
「ねぇ、そう言えば君の名前は?」
「名前なんて持ってないよ」
「ありゃりゃ、そりゃ可哀そうに。……あ」
ゆうが何かを思いついたように少し不敵に笑い、そしてこう言った。
「じゃあ、私の名前あげるよ。今ならもれなく苗字つきで。あ、『ゆう』って名前じゃないよ?」
「え、それはだめだよ。そういう名前って親から貰ったものなんでしょ? 大事にしないと」
私がそう言ってやめさせようとしても、ゆうはこう言い切ってしまった。
「いいのいいの。私には『ゆう』って名前があるから。……って言っても名義とかには使えないと思うから、そう、共有ってことにしよう。はい、決定!」
またしても強制的に話は進められてしまい、ゆうは一人で拍手をした。その様子を見て、私も反論するのに気が引けてしまいやめることにした。
「じゃあ、よろしくね。かおる」
首を傾けて改めてゆうは私に挨拶をしてきた。
「こちらこそ、ゆう」
こうして私は彼女の名前に寄生する事になった。
949 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 19:50:59 ID:eoTp0hKU
(1-11)
「ふう、ただいまぁ~」
私がこの星に生まれてから5日目の夕方。茶色い鉄のドアを開けて、両手に袋を持ったゆうが家に帰ってきた。私は茶の間から玄関の靴箱まで、素早く移動して彼女を出迎えた。
「おかえり~。お仕事、お疲れ様です」
「ただいま、かおる。どう? 探してる人は見つかった?」
袋の中のものを冷蔵庫に入れながら、ゆうは私に聞いてきた。
「ううん、やっぱり見つからなかった」
「ありゃりゃ。うーん、やっぱり私も一緒に探すよ」
「いやいやいやいや、大丈夫だから、ね? ご安心を」
私は必死にゆうの心優しい提案を却下させてもらった。
結局、私はこの星に来た理由を「人探し」ということでゆうに伝えた。ある人物に私の種の更なる進化の可能性の道しるべとなる情報を聞き出す、というのが彼女に話した私の嘘の使命だ。
何故私が彼女自身に寄生をしないか。その理由はあまりに単純だ。
私が彼女を好きだからである。
私の宿主の理想など軽く越えてしまっている、そう愛すべき人物であり、逆にその理想を越えすぎてしまっているがゆえに寄生したくなかった。
では私はどうしようと考えているか。それは私の本当の使命を果たしながら、ゆうとの関係も持続できるような方法を必死に考えた末に出した策だった。
それは、ゆうが好きな人間の女の子として彼女の前に現れ、彼女と同じ人間の友達になることだった。
私に与えられた能力である宿主に寄生する能力と、寄生した宿主の身体をある方法で得た別の人間の情報を元に書き換える能力、つまり擬態能力。
この二つを利用して私が考えた策はこうだ。
まず、ゆうが好きそうな人物を見つけてその人物を見つける。そして見つかり次第、ゆうに別れを告げて私はこの家を去り、ゆうが好きな人物を「食べる」。
これがその人物に擬態するための情報を得る手段だ。そして後は、どんどんと宿主を乗り換えていきながら、ゆうに会うときだけ「食べた」人物に擬態して彼女と会う。
我ながら完璧な作戦だと思った。そう、私が今探している人物とは宿主の対象ではなく、ゆうが好きそうな人物なのだ。
しかしこれを闇雲に探しても中々見つからない。私はやはり、ゆうのような優しい人物を探したのだがどうしても彼女ほどに優しい人物は見つからない。
そこで私が目をつけたのは彼女が働く仕事場の雇い主だ。
950 名無しさん@ピンキー sage 2009/08/17(月) 19:56:13 ID:eoTp0hKU
(1-12)
ゆうはあの酷い事件の後、なんとか男性と接しないで済む仕事場を頑張って探したらしい。そしてやっとたどり着いたのが、キャバクラという店の清掃係と言う仕事だった。どうやらそこのオーナーが理解が事情を知って、理解を示してくれたらしい。
そのオーナーも当然女性であり、それもお店で人気NO.1とのことだ。
キャバクラという店は夜中に男を来店者として迎えるお店だが、昼間ならそうした客に会わずに済むのではないかというオーナーのはからいだったようだ。
そう、何とも素晴らしい人物ではないか。つい昨日、私もこっそりとその仕事場を覗きに行ってその人物を観察した。ゆうに見つからないようにする観察は思った以上に大変だったが、
そのオーナー自身も昼間だというのにパーソナルコンピューターや携帯電話機で店の仕事をどうやらこなしているほどの忙しい人物であるようだった。
その仕事ぶりのせいか、オーナーという人間社会では上流に位置する階級なのに歳も若く、やはり美人でナイスバディである。……私はゆうだって充分ナイスバディだと思うのだが、
彼女曰く「私が東京タワーなら、オーナーはエッフェル塔」という私には分かりづらい例えを言っていた。
まぁ、つまりゆうもオーナーという人物を敬愛し、私にも中々素晴らしい人物だと思っている。そのオーナー様には申し訳ないが私に「食べられてもらう」つもりだ。予定としてはこの身体で私が過ごす最後の日となる7日目、つまりは明後日に。
すぐに食べないのは、私もできるだけこの身体でゆうともう少しだけ一緒に過ごしたかったからである。私の身体は一度宿主に寄生してしまえば、この身体で活動できるのは宿主から宿主に移動するときに存在するごくごくわずかな時間のみだ。
その状態でゆうに会うのはかなり限界があると思った。
擬態してからもゆうに正体を明かすつもりもない。それは私自身がゆうと一人の人間として向き合いたいからである。
だから私はこの身体で彼女と会える残された時間で今しか作れない大切な思い出を作っておきたいと思った。もし、いずれ私が擬態してからその正体を明かしたいと思っても、もう彼女とこの身体で向き合うことは出来ないからだ。
「さて、と。一緒にテレビでも見よっか? 今ならドラマの再放送をやってるでしょ」
そう言って私をその胸に抱え込むと茶の間に移動してテレビのチャンネルを変えた。ちなみに私が先ほどまで見ていたのは人間がルールに従って競い合う、陸上という競技の大会だった。
なるほど、自分の身体をあのように使って様々なものに挑戦するのは中々面白い映像だった。
それから私とゆうは一緒にドラマを見た。それも中々面白い内容だったのだが、それよりも面白かったのはゆうがドラマで起こる一つ一つの出来事に喜怒哀楽をそれぞれ精一杯表していたからだ。
場面によってめまぐるしく変わるゆうの表情は見ててとても滑稽で、そして素直だと思った。
「ああ、面白かった。ね?」
「うん、とっても」
私がゆうの言葉に同意すると彼女も嬉しそうに笑ってくれた。
「本当にオーナーには感謝しないと。昼間に掃除しかできないのに、お給料は充分すぎるほどくれるし。そのお陰でかおるとこうして過ごせるんだもんね」
ゆうはそう言って窓の外を見た。今は力強く赤い空だが、数時間もすれば妖しい暗闇を孕んだ夜に変貌していく。これからがオーナーにとって本当に忙しい時間なのだろう。
そう言えば明後日から私がそれを引き継ぐことになるのだろうか? 正直私も男をお客とするそんな商売は絶対にしたくはないのだが、ゆうの仕事場がなくなるのは困ることだ。
まぁ、どこかの上流階級の人間に寄生したときにでもその金銭を流用してお店を切り盛りすれば大丈夫かな。
「さってと、じゃあよるごはんの用意をしようかな。今日は牛のお肉を買ってきたんだけど、君は食べられるかな?」
「うん。全然おっけーだよ」
毎回、食事を作る前に私がそれを食べられるかどうかをゆうは忘れずに聞いてくれた。でも、あれから何回かゆうの手作りお料理を食べさせてもらったが、やはり一人暮らしの経験が多いせいなのか、どれも美味しいものばかりだった。
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